ミントン社のタイル発展と衰退
マジョリカタイルの最高峰とされるミントン社のタイル。今回は、美しい色彩と繊細な装飾で人々を魅了してきたそのタイルと、惜しまれつつ幕を閉じたミントン社の歴史を徹底解説します。
- ※この記事は「News Letter Vol.24」の内容を再編集したものです。
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ミントン社とは?
ミントン社は、イギリスを代表する高級陶磁器ブランドです。1793年に創業し、2015年に多くのファンに惜しまれつつ、ブランドの歴史に幕を閉じました。
ミントン社は、革新的な装飾技法を次々と発明し、若い気鋭のアーティストを採用することで繁栄を築きました。豪華に金彩を施した食器を生み出し、「世界で最も美しいボーンチャイナ」と称賛され、イギリス王室御用達ブランドとしても知られてきました。
また、ミントン社はタイルの生産も数多く手掛けており、最高級タイルとして、世界の著名な建築物に採用されてきました。特に、ヴィクトリア時代はミントンタイルの最盛期で、ミントン社は「ヴィクトリアン・タイル」の代表格として知られています。また、ミントン社製のマジョリカタイルは、その高い品質と装飾の美しさから「マジョリカタイルの世界最高峰」と呼ばれており、世界中のコレクターたちを魅了し続けています。
タイルギャラリー:ミントン社
日本で見られるミントン社製タイルとして有名なのは、重要文化財・旧岩崎邸(東京都台東区)に施工された床タイルです。鹿鳴館やニコライ堂を手がけたことでも知られる建築家ジョサイア・コンドルは、当時世界でも贅沢品と言われたミントンタイルを、この個人邸宅に採用しました。
ミントン社の歴史
初代 トーマス・ミントンと「ボーンチャイナ」
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1793年
銅板彫刻師トーマス・ミントンがイギリス中心部ストーク・オン・トレントに陶磁器製造会社ミントンを設立。
1796年
トーマスは陶工ジョセフ・プールソンと原型彫刻師サミュエル・プールソン兄弟と提携。更にリヴァプールの商人ウィリアム・パウノールの資本参加により会社は「ミントン、プールソン&パウノール」となる。
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1798年
ミントン社初の磁器焼成に成功し、世界一美しいと称される乳白色の焼き物「ボーンチャイナ」の製造を開始。
1798年頃のイギリスでは、中国磁器で多用された白色粘土の入手が困難だったため、牛の骨灰を使用していたことからBone Chinaと呼ばれた。
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1800年
陶磁器用材土の安定供給を目的に、トーマスはヘンドラ地域とトレロア地域に土地を借り、コーンウォール産カオリン独占使用カルテル「ヘンド ラ・カンパニー」を設立。
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1803年
ジョン・ターナーをマネージャーに迎え、より優れた釉薬への切り替え等を行い、ボーンチャイナは進化を遂げた。
※ターナーとの提携は1806年に終了。
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1808年
ジョセフ・プールソン死去。トーマスの長男トーマス・ウェッブ・ミントンと次男ハーバード・ミントンが窯参入。
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1816年
ミントン社、ボーンチャイナの生産を終了。
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1817年
息子2人が株主・経営者に加わり、会社は「トーマス・ミントン&サンズ」となる。これ以後、経営状態は徐々に悪化し、1822年には息子2人との業務提携を終了。
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1823年
社名が「トーマス・ミントン」となる。ハーバードのみ窯に残り、トーマス死去後の後継者となった。
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1824年
ボーンチャイナの生産流通を再開。
2代目 ハーバード・ミントンと「ミントンタイル」
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1828年
ミントン社の2代目、ハーバード・ミントンがタイル製造を開始。ハーバードは、父トーマスの反対を押し切って、タイルの製造に大金を投じたが、当初は上手くいかなかった。
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1830年頃
陶工サミュエル・ライトが考案し、特許を取得した象嵌タイルの技法をハーバードが一部買い取り、象嵌タイルの商品化を進める。その後、乾式タイル成形を確立し、タイルの量産化に成功した。
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1835年
世界初のタイルカタログが完成。
1836年
トーマス・ミントン死去。
1840年
ハーバードは甥マイケル・ダイントリー・ホリンズとタイル製造会社「ミントン・ホリンズ」を設立。
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1848年
ハーバードがフランスで出会った、磁器メーカーの息子レオン・アルヌーをアートディレクターに迎える。アルヌーは、ミントン社に数多くの芸術家たちを送り込み、陶磁器やタイルの発展に貢献し、その後1892年までミントン社に従事した。
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1850年
凹凸のレリーフをもつ装飾タイルに、色鮮やかな釉薬が施されたマジョリカタイルを開発。
以後、ミントン社は多種多様なマジョリカタイルを生産。その高い品質から、最高級タイルとして取引され、今でもコレクターズアイテムとして多くの人々を魅了し続けている。
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1851年
第1回 ロンドン万国博覧会に出展。「ボーンチャイナ」や「マジョリカ焼」が絶賛され、成功を収める。
出品されたミントン社のコレクションは、装飾が施された「ボーンチャイナ」と、素焼きのパリアン・フィギュアの組み合わせが「オリジナルデザイン、高度な美しさ、効果の調和」と賞賛された。ヴィクトリア女王は、これを大変気に入り、116個を購入。1856年、ミントン社は英国王室御用達となる。
※パリアン磁器:大理石を模したビスケット磁器の一種。液状で型に流し込み、大量生産できるという大きな利点がある。
3代目 コリン・ミントン・キャンベル以降
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1858年
ハーバード・ミントンが死去し、甥のコリン・ミントン・キャンベルとマイケル・デイントリー・ホリンズが跡を継ぐ。
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1863年
ミントン社のJ.L.Hugesが「アシッド・ゴールド」を開発し、特許を取得。
アシッド・ゴールドは、金を腐食させて模様を付ける技法で、施釉面に金付する前に稀弗酸で蝕刻する。この方法は非常に熟練を必要とするので、最高級品の装飾にのみ用いられる。
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1871年
ロンドンにミントン芸術陶器工房を開設。普仏戦争の激化により、フランスからイギリスにやってきた陶芸家マルク=ルイ・ソロンがミントン窯に移籍。ソロンが持ち込んだ「パテ・シュール・パテ」により、ミントン社は更なる発展を遂げる。
※パテ・シュール・パテ:仏セーブル窯で1849年に開発された、施釉前に粘土を重ね塗りし、装飾を施す技法。
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1887年
コリン・ミントン・キャンベル死去。この後、ロバート・ミントン・テイラーが参窯するものの、有能な経営者はおらず、ミントン社は次第に衰退していった。
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1948年
ハドンホール城に掛けられていたタペストリーをモチーフにした「ハドンホール」発表。「ハドンホール」はベストセラーとなり、以後、ミントン社を代表する定番コレクションとなった。
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1968年
ミントン社がロイヤルドルトン社に吸収合併される。
※日本からミントン社が撤退したのは2009年。
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2015年
ロイヤルドルトン社がフィンランドのフィスカースに買収されミントンのブランドが廃止、事実上ミントンは消滅した。
まとめ
いかがでしたか? ミントンといえば、豪華な装飾の花瓶や食器、王室御用達のボーンチャイナなどが有名ですが、ヨーロッパのタイルの歴史にも、大きな役割を果たしてきたのですね。
旅行などで歴史的建築物を訪れる際は、そこに使用されたタイルにふと目を向ければ、思いがけず、ミントンタイルに出会うこともあるかも知れません。そんな発見ができたら、旅がもっと楽しくなりそうですね!
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